主人を通して自分の姿を見せられる 兵庫県 M様

100日行を始めた頃は、今まで押し込めていた・溜め込んでいた感情を奉書に書き写しておりましたが、行が進むに連れてあれもこれも自分の姿を見せられていたことだったと気付くことが多く、それを納得せざるを得なくなった頃から読み上げることが苦しくなり、書けなくなってしまいました。70日目からは、自分自身を見つめるような内容を書き写しておりました。

 

そんな中、主人の理解があり、私の母との同居が始まりました。母と接する時間が長くなり、軽度の認知症である母の言動が受け容れられず、耐えきれずに暴言を吐くこともありました。分かっていても抑えきれず、同じことの繰り返しでした。

 

68日目のことです。些細なことで主人が怒り出し、止まらなくなりました。いつもなら背を向けて下を向き、主人の怒りの言葉が頭上を通り過ぎていくのをじっと耐えていましたが、この日は主人の姿を頭を上げて落ち着いて見ることが出来ました。

その姿を見ながら、感情をぶつけるとはこういうことなのかと主人と私の姿が重なり、「これがあなたの姿ですよ」と、神仏が見せて下さったように感じました。主人の言動にいつも目を閉じ、逃げ出したくなるのを必死にこらえ、「どうしてこんなことしか出来ないのか。情けない人だ」と責めていましたが、主人を通して私の姿を見せられていたことにようやく気付くことが出来ました。

「私は違う」と思っていましたから、とてもショックでした。私が気付こうともしなかったので主人が変わるはずもなく、同じ気持ちを母や家族、他人にさせてしまっていたのです。『縁を持つべき人と縁を持ち、環境がつくられ、そこが修行の場になるのです』という院主様のおさとしを思い出し、主人と縁を持たねばならなかったわけが理解出来ました。

そして院主様から、『感情をぶつけてはいけません』とご指導頂いていたので気を付けていたつもりでしたが、真剣に直そうとしなかった自分が見えてきて、とても恥ずかしくなりました。

 

70日目からの行は、母との同居が始まって2週間目でした。主人が母の言動に対して不平不満を私に訴えることが多く、その度に「あなたはどうですか?」という私の言葉に、今までなら反発していた主人が、素直に「そうだな」と認めてくれました。

「私たちが子供のお世話になる時には、このようなおじいちゃん、おばあちゃんにならないといけませんね」と、どのように歳を重ねていくべきなのか自然と話が出来ました。母が反面教師になってくれたお陰で夫婦の会話が増え、今後の生き方・考え方について考えさせられたことに感謝いたします。

院主様がご指導下さった内容を素直に受け留め、変わる努力をしていればもっと早く道が開けていたのだろうにと、改めて自分の我の強さを反省させられました。